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映画 「のだめ 最終楽章 前編」

 先日、「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」を見に行ってきました。

 ドラマも素晴らしい出来で、「連続ドラマの放送を毎週楽しみにする」というのは私の中でも初めての経験で新鮮なものでした。(12/5の記事より)


 ↑の記事でも書いてたとおり、これまでの「のだめ」実写版は素晴らしく、映画も楽しみにしてました。特に、オーケストラのシーンが、映画館ならではの音響で楽しめるということに、すごく期待をしていました。

 今回の映画では、おなじみの「ベト7(ベートーベン交響曲第7番)」をはじめ、クラシックの様々な曲が使われていたんですが、とくに、大きく取り上げられていた「序曲1812年」は圧巻でした。聴いてて、思わず感動してしまいました。やっぱり、映画館の音響効果はすごいですね。

 もちろん、脚本・演技・構成……全てが練られているなぁと感じましたし、約2時間の上映時間をあっという間に楽しく過ごすことが出来ました。
 上野樹里さん・玉木宏さんを始めとするおなじみの俳優陣の演技は、相変わらず素晴らしかったんですが、なだぎさんのテオが独特の味で、流石(さすが)という感じです。テオ→なだぎさんを思いついた方もスゴイんですが、彼の芸風をテオの演技に活かしきるのもスゴイです。(ミルヒーと一緒で、見た目は原作と全く違いますが)

 またリピートで見に行きたいです。

テーマ : 雑記 ジャンル : 日記

2009.12.29 (Tue) 21:03  |  雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

仕事納め

 今日は「仕事納め」です。ウチの市役所では、午後4時から管理職等出席にて「仕事納め式」が行われ、1年を総括した訓示等がありました。(ちなみに、その内容は、館内放送されました。)

 その後、部内でも「仕事納め」にあたっての訓示がありましたが、それを聞いていると、今年1年、本当に様々なお仕事があったことを実感しました。

 明日から「年末年始休暇」です。市役所にはお盆休みはないので、長期的に一斉休業するのは、この時期くらいです。
 師走でストレスもたまっていたので、この休暇でリフレッシュし、新たな年に備えたいです。

テーマ : 公務員 ジャンル : 就職・お仕事

2009.12.28 (Mon) 22:42  |  業務日誌  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

『教育再生の条件』

教育再生の条件―経済学的考察 (シリーズ・現代経済の課題)教育再生の条件―経済学的考察 (シリーズ・現代経済の課題)
(2007/10)
神野 直彦

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 危機に立つ日本の教育。それは、学校の危機、学校教育の危機にとどまるものではなく、日本の社会が、社会として社会の構成員を育成することに失敗しているという大きな危機の一部にすぎない。この認識を欠くがゆえに、一九八〇年代以来声高に「教育改革」が叫ばれながら、いずれのプランもうまくいかず、事態はますます深刻化してきたのだ。(カバーより)


 生まれたときからずっと学校にいるわけではなく、24時間学校にいるわけではないにもかかわらず、「教育=学校」というイメージが浸透しているように思えます。

 大人たちは、自分が子どもだった頃、学校・家族・地域・友人・テレビ……といったもののうち、「自分の成長のなかで“学校が果たした役割”がどの程度の割合だったのか」ということを、もはや忘れてしまっているような気がします。

 「教育に関する学校の責任」というのは、確かに大きいと思いますが、「学校が教育の全て」というわけではないでしょう。そういう意味では、学校を取り巻く社会環境が抱える課題を横において、教育現場のみ変革しようとしても、根本的な解決にはなりにくいような気がします。

 新自由主義の「競争社会」の目指す教育改革は、アンビバレントな課題を担うことになる。一つは、教育を競争社会に合致するように改革することである。もう一つは、競争社会が生み出す社会的病理を教育で発生させないように改革することである。つまり、競争社会が生み出す犯罪、自殺、麻薬、暴力などの社会的病理を、教育が生み出した社会的病理だと見做すことによって、教育に社会的病理を防止させようとする改革である。
 しかし、こうした教育改革こそ、自分の矛で自分の盾を突く矛盾である。競争原理を教育に導入して、競争原理の生み出す社会的病理を解消できるはずがないからである。(p16)


 確かに、言われてみれば、学校には「みんな仲良く」と「よりいい点数を」という、言わば背反する価値観が同居しているように見えますね。また、その「背反する価値観」を周りの大人が学校に求めているような気がします。

 皮肉な視点ですが、実は子どもたちは、このような、大人社会が抱える「アンビバレント」性――世の中には「同じ人が場面によって“逆の言葉”を言うことがある」ことなど――にどう対応するのかということを、学校生活の中で最も学んでいるのかもしれません。これに、うまく適応できず、それぞれの言葉に真正直に振り回されすぎると、混乱か反発か逃走かということになるでしょうから。

 アダム・スミスは政府が教育を提供する必要性を、生産活動における労働能力に求めていたのではない。むしろ生産活動が分業化され、労働が単純化することによって生ずる社会的亀裂を解消し、社会統合を実現していくことに、政府が教育を提供する必要性を認めたのである。(p51)


 不勉強ながら、アダム・スミスが教育に関する論及を行っていたことは知りませんでした。
 経済的(財政的)効率性のことだけ考えると、単に知識を教えるということであれば、(公立)学校を全廃して、塾(私立学校とか)に委ねたほうがいいということになるでしょう。そして、学校に経済的な理由で通えない人には公的助成をするほうが、財政的には少なくて済むはずですから。(ちなみに、経済的に厳しい方に教育費を援助する制度は、今の日本にもあります。)

 にもかかわらず、公立学校が存在している理由としては、ナショナルカリキュラムの浸透ということのほかに、人口密度が低い地域など、私立学校では採算が合わない地域のことなどを考えると、全てを民間の競争だけに任せたら教育に不公平が生じ、社会的亀裂が生じる恐れがあるということじゃないかなと思います。

 そういうことから考えると、教育の不公平が招く社会不安を防止し「みんなが安心して暮らせる社会」を築くために、どこでも一定のレベルでの教育を受けることができるシステムを目指しているのでしょう。

 スウェーデンに学べば、知識社会の高等教育は、「誰でも、いつでも、やり直しが利く」ように、デザインされていなければならない。もちろん、「ただで」が原則である。
(中略)
 スウェーデンでは、高等教育が職業資格と密接に結びついていることが重要である。
 医学部に進学して必要な単位を取得すれば、医師になれる。法学部に進学して必要な単位を取得すれば、弁護士になれる。薬学部に進学して必要な単位を取得すれば、薬剤師になれるというようにである。(p164)


 本書では、スウェーデンの教育制度がモデルケースとして例示されていますが、それを日本と比較する場合は、財政面、特にスウェーデンの税負担も考慮すべきだと思います。つまり、スウェーデンと日本では税の負担割合が同じなのかということです。
 私は、スウェーデンの税負担がどの程度かはよく知らないんですが、話を単純化して整理すると、高負担高福祉か低負担低福祉かという話になるのかもしれません。あと、スウェーデンの平均的な生活水準も気になります。

 気をつけなければいけないのは、ともすれば「低負担高福祉」を望みがちなのが我々だということだと思います。その矛盾に目を向けない政治運営を行うならば、その後にあるのは莫大な借金とそれに伴う経済の不安定化のような気がします。

 教育改革を考える場合、現場の体制をどう考えていくのかという比較的ミクロな視点と併せて、社会をどうデザインし、それに対する負担をどう求めていくのかというマクロ的な視点も必要になるんじゃないかなと思います。これが、政治家の皆様に期待するところだと思いますので、「低負担高福祉の幻想」や「学校問題への矮小化」に陥ることのない議論を期待したいものです。

テーマ : 読書メモ ジャンル : 本・雑誌

2009.12.27 (Sun) 22:28  |  読書  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

コカコーラ

20091226162957
 某所で、コカコーラの(ガラス)ビンの自動販売機を見つけました。

 ペットボトルの普及で、こういうのは無くなった(あっても故障してる)とばかり思ってたので、驚きました。

 思わず、1本買ってしまいました。100円のままなのが、また懐かしいです。(アキビン置き場もありましたよ。)
2009.12.26 (Sat) 16:30  |  モブログ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

学校選択制の抽選

 ウチの市では、限定的な「中学校選択制」というのを制度化しています。

 これは、通学距離とかの関係で、「より近いところに中学校がある方」などを対象として行っているんですが、全員の方が希望通りに「選択」ができるかというと、そういうわけにもいかないのです。

 というのは、それぞれの中学校のキャパには限界があるので、選択を希望する方の全てをその中学校で受け入れるということができないというわけです。(来年度の生徒数見込みから試算した)受け入れ可能人数よりも、希望された人数が多かった場合は抽選になってしまいます。

 ということで、先日、公開抽選のお仕事に従事してまいりました。

 抽選自体は「抽選機」で行うので、当然の事ながら恣意的な要素が入る隙間はありません。
 (あらかじめ職員に委任されている方を除き)申請された方ご自身で抽選機を操作していただくんですが、当選かそうでないかという結果が出てくる情景を拝見していると、こちらも複雑な気持ちになってしまいます。(特に、お子様方は、当選したかそうでないかで表情が違ったりしますし)
 
 なかなか、ままならないですね。(当選漏れとなってしまった方には、本当に申し訳ないです。)

テーマ : 公務員 ジャンル : 就職・お仕事

2009.12.25 (Fri) 23:44  |  業務説明  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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